|
ブエノスアイレスに行って(編集後記) 丸ノ内線から500形が引退して、早くも10年が経ちました...... 彼らが船で運ばれた"アルゼンチン"へは直行便が無く、成田からヒューストン経由で凡そ30時間を要します。 (コンチネンタル航空利用にて) 治安の面も心配していた事から、最初は無事に帰って来られるのだろうかという不安な気持ちで一杯でした。 しかし、小学生の頃からの念願だった"ブエノスアイレスの500形との再会"がいよいよ叶うのかと考えると、期待の気持ちの方が大きくなりました。 長かった空旅を終え、ようやくエセイサ国際空港に着いたと思えば、英語が通じず苦労します。現地のレミースと呼ばれる一番安全なハイヤーで、市街地へ向かいます。 朝9時頃ホテルに到着しスーツケースを預け、目的の500形との再会の為に駅へ急ぎます。 切符を買って、ホームへの階段を降りていくと…懐かしい警笛やコンプレッサの音が聞こえてきました。 そして彼らは日本の頃と殆ど変わらぬ姿でやってきました。 日本にいる当時と全く変わっていない塗装。 しっかりメンテナンスされているようで、車体は輝いています。 乗ってみれば懐かしい雰囲気に感動。 地下で500形同士がすれ違うのを見て、なんとも不思議な気分になりました。日本では惜しまれつつ引退しても、現地ではまだまだ現役なんだなあ・・・と余韻に浸っていました。 暫く乗っていると、日本では見られない光景を目にします。 車内には子供の物売り、音楽を演奏する人、必死に何かを訴えかける人…が、見受けられたのです。 スペイン語は全く解らないので、彼らが何を言っているかは解りませんでした。ただ、売る前には必ず何かを訴えかけているように見える・・「お得ですよ!」とかそんな事ではないような。物売り(子供)が座っている人全員の膝元に商品を置いていく。数分後物売りが戻ってきて要らなきゃ返す・・・の繰り返し。 表情が真剣で、とても必死に見える。死ぬか生きるかの狭間を生きているかのような人も居た。 日本円で70円程度のものだが、誰も買おうとしない。 膝元に置かれたのは鉛筆1本・ステッカーシール・ヘアピン等々・・・・ ・・・・・・・・・・ 日本では考えられないことでした。 ある日中、街でのデモ活動に遭遇しました。激しい爆竹の音と共に市民が大きな旗を掲げて、 何かを訴えかけていたのが鮮明に記憶に残っています。 改めて、日本は裕福だなあ・・・と、痛感したのでした。 その後、CONSTITUCION駅で食事をしていると、隣に座っていた現地のおじさんに声を掛けられました。どうやら駅構内の売店で仕事をしている人のようです。 日本人は珍しいのか、店員や別の客からも囲まれ色々と質問をされました。(指差し会話帳を用いる) 気さくな人が多いなあ…と思いつつ、カメラ付携帯電話を見せると"こんな便利な機能があるのか!!"と驚いた様子で、一緒に写真を撮ったりしました。今となっては大切な一枚となっています…楽しく会話を始めて2時間も経ち、メールを交換して別れました。 思う存分500形に乗って、ホテルに戻りました。初日から濃い1日となりました。 ・・・・そして、タンゴや街巡りも楽しんだ4日間の滞在期間は、あっという間に過ぎていきました。 日本の真裏にある、アルゼンチン・ブエノスアイレス市。 文化や風習は異なれど、営団丸ノ内線500形は日本にいる頃と殆ど変わらぬ姿で日々を過ごしています。 機会があれば、一度訪れてみるのも良いかもしれません。日本語の残る車両に乗りながら、異文化を感じるのも貴重なひとときとなるでしょう。 気さくな現地の人に愛され、今後も末永く活躍することを心から願っています。 最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。 何か皆様のお役に立てれば幸いです。 御意見、御感想、御質問等ございましたらこちらにお願いします。 |